13才の兵士のお話を聞きに公民館に出かけた。昭和16年に家族で満州に移住、13歳で関東軍に入隊。14歳で正式に兵士として任命された。戦争末期のソ連軍の侵攻、敗戦、中国の内乱に翻弄され、苦労の末帰国した。軍隊での日常的なビンタ、ソ連収容所での重労働、死体運びなどを話された。出席者は年配の方が多かったが、若い人たちにも聞いてほしいお話だった。

 また、戦争中の疎開にあっては、肢体不自由児の学童疎開を受け入れた温泉旅館の話も伺えた。疎開は子供たちを空襲から守るためであったが、それはまた、将来の兵士を温存するためでもあった。だから、肢体不自由児の学童は冷たく扱われ、東京都は疎開先を探してくれなかった。校長は疎開児童を多く受け入れていた長野県に一人で向かった。受け入れ先は容易に見つからなかった。そのような中、当時の長野県上山田町町長が、自分の旅館を疎開先に提供した。旅館にはいろいろな機材が運ばれ改装された。従業員には暇を出し、旅館は開店休業状態となった。その疎開から10日後、学校は空襲に会っている。終戦後も教員たちは村人たちの家々を回り、食糧を提供してもらっていた。学校が再開されるまで、疎開は4年間にも及んだ。

 だから、これからは、温泉に泊まるなら、ここだね