昭和38年9月13日から始まる療養中の日記風な記録。松永安左エ門90歳の時である。

 季ラインで日本漁船韓国の警備艇ニテ拿捕セラレ・・・日本ノ艇ハ発砲モ出来ズ・・・併シ是ハ尊ムベキ事デアル・・・ドコ迄モ気永ニ話合ニテ解決スル・・・是コソ日本ガ誇ッテ失ハレタ信用ヲ恢復シ・・・

佐藤総理ト・・・沼田ダムの治水・利水ノ必要緊急性ヲ説ク・・・

電話ニテ参画ノ沼田ダムヤ東京湾会ヲ断ハリ・・・ 

トヰンビー翻訳出版ヲ第一巻ハ本年末施行セントスル・・・東京湾ヤ沼田ダム開発ガ一歩モ二歩モ前進シテ・・・

 病状の記録の他にはこのような記述が出てくる。90歳にして、東京湾横断道路、沼田ダム、国鉄民営化などの構想を描いている。

主治医大堀医師と記者との一問一答が興味深い。

医師 : 松永さんという人は難しい人で、大抵のお医者さんじゃダメなんです。病人は顔と同じで個人個人皆ちがう。病気よりも病人を治すというやりかたが私の信念です。
記者 : 90歳でもこのようにちみつな日記が書けるものでしょうか。
医師 : 松永さんには、人間は休むようになったら駄目ですよといつもいっていた。松永さんは余分なことはしない人で医者のいうことを非常によく聞きました。
記者 : そうしますと、先生のいわれることをよく守られたからの長寿なのか、それとも長寿体質なのか。
医師 : 長寿体質でもありましたが、よくいうことを聞いてくれたと私は思います。90歳を過ぎても運動をしていました。私はよくいうんです。寝ればあくる日によく仕事ができるけど、寝れなかったら仕事ができない。それじゃ何にもならないじゃないですか、と。睡眠は大事なんです。
記者 : 人間は最後まで、長生きの希望を持つべきものなのでしょうか。
医師 : 私はそう思います。あきらめてはいけない、自分は立派に生きるんだ、ということと、体と頭は使いなさい、これだけしか私はいわなかったんです。
記者 : 松永さんの長寿の原因を医学的な立場から言われますと、どうなりますか。
医師 : 体も骨格も立派でしたが、もう一つは、生きようという努力がご自分にあった。この努力はご本人のものですね。頭と体を使うこと、食い物に気をつけること。松永さんは、生きるという、ご自分の強い意志を持っていらした。だから仕事をするうえでも、いつもたえず努力の連続でした。「俺は年を取ってしまったと思っちゃだめだ」 松永さんほど生きて仕事をしようとした人はいないです。

 松永翁は97歳で世を去るまで現役であった。「不失恒心 不守恒産」生涯現役の秘訣はここにあった。本書には松永翁の写真が多くある、各界の著名人との写真でも翁の表情は他の参列者と異なる。それは「不失恒心 不守恒産」からのものではないかと思われる。

「・・・女教員ノ卅ニ三の容貌ハ普通ダガ肉附き良イヤサシイ処女婦人デ恋愛ヲ感ジタ。・・・予ハ誘惑ヲ感ジタガ、待テゝ、関係スレバ責任ガ出来、終生関係セネバナラヌ、夫レハマズイ、・・・」
 マツナガ翁89歳のときの夢である。